©2019 by 岡田鴨里顕彰会(会長石濵裕美子)。

関連する史跡

2019年9月5日

I.生家(兵庫県淡路市王子574)

 組頭庄屋であった岡田鴨里の生家(砂川家)は、庄屋建築の藏と鴨里生誕の地の碑文がたっています。1986年に砂川家が絶えた後、これらは津名町(現淡路市)に寄贈されました。

 その後レトロ体験村という宿泊施設に改築されましたが、客足が途絶えた後に管理は杜撰となり、屋敷の上階に残っていた史料・軸物類は不法侵入者によって持ち出されるままにされ、1995年の阪神淡路大震災に際しては、最後に残った文書類を「業者」が持ち出すところを、かろうじて制止し、被災一号文書として洲本の淡路文化史料館に受け入れられました。

 震災でダメージを受けた生家は補修が行われないまま荒れるに任されてており、昨年淡路市は正式にレトロ体験村事業を終了し、2019年、屋敷を破壊して更地にする計画を打ち出しました。

II. 鴨里顕彰碑

 南淡路市の掃部(かもり)地区にある鴨里の屋敷跡には顕彰碑がたっています。

鴨里の雅号はじつはこの掃部(かもり)村の地名からきています。

 碑文の著者は真言宗高野山派の栄福寺の住職岡崎密乗師。四国大学の太田剛先生による碑文の和訳注解は​以下のリンク先から見られます。

III. 鴨里の書

 洲本の江国寺には阿波藩の筆頭家老をつとめた稲田家の墓地があります。ここには鴨里の作文になる稲田植誠(1844-1865)の墓誌「國老稲田君墓表」が現存しています。

IV. 鴨里の墓

 鴨里は孫の真、妻マキ、養子文平とともに南あわじ市栄福寺の向かいの掃部をみはらす丘の上に眠っています。2014年には、竹藪の中で四つの墓石があるものは傾き、あるものは二つに割れていました。

 しかし近年栄福寺さまのご厚意により墓域が整備され、竹藪が切り開かれ、かつてのように掃部をみはらす景観を取り戻しました。

 さらに蜂須賀桜の会により、一昨年桜の植樹もなされ、いずれ桜の山となっていくのと思われます。

 地域の方々のご厚意に心より感謝致します。

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